, 鍬渓神社

鍬渓神社



小野市下来住町 鍬渓神社
祭礼日:10月第2土日
交通:JR加古川線小野町駅より徒歩10分

建久年間国中で疫病が流行し、同3年8月9日播磨守源範景の命により、京の祇園社より分霊を村内の下来野という地に勧請し、社殿を創立したことに初まる。以来、国司の崇敬は篤く、安芸守来住惟友は神事を再興し、嫡子、孫も産土神として信仰した。しかし天正8年、秀吉によって来住氏が滅ぼされ、祭祀は中止を余儀なくされた。同9年、疫病が流行し、村民は神明の致すところと畏怖していると、翌10年神託があり、現在の地に遷座することを求められ、社殿を託宣の地に造営した。明治4年、鍬渓神社と改めた。

鍬渓神社の屋台

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